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仙台高等裁判所 昭和36年(ネ)592号 判決

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、被控訴代理人が控訴人主張の示談成立の事実は不知と述べ、控訴代理人が、被控訴人の主張事実中、控訴人が貨物運送業を営むものであること、蟹沢忠一は控訴人に雇われ、控訴人の業務の執行としてその自動車を運転中これを庭田仁造に接触させ、被控訴人主張の傷害を負わせたこと、

右傷害事故は蟹沢の業務上の過失に原因するものであること、庭田は丸元運輸株式会社の職員であること、右会社は労働者災害補償保険法による保険加入事業場であること、被控訴人がその主張日時庭田に対し右事故による保険給付としてその主張の金員を支払つたこと、以上の事実は認めるが、被控訴人のその余の主張事実は否認する。本件については昭和三二年一〇月二一日控訴人と庭田との間に示談が成立し、庭田はその余の損害賠償請求権を放棄したものであると述べたほかは、すべて原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。(ただし、原判決三枚目裏一〇行目「大沢多喜男」とあるのは、「大津多喜男」の、同四枚目表七行目「同年八月二九日」とあるのは、「昭和三三年八月二九日」の各誤記と認めるので、右のとおり訂正する)

理由

控訴人は貨物運送事業を営む者で蟹沢を雇傭していたところ、被控訴人主張日時蟹沢が控訴人の自動車を運転しその業務を執行中過失により庭田に対し右自動車を接触させ、被控訴人主張の傷害を与えたこと、庭田は丸元運輸株式会社に雇われている労働者で、同会社は労働者災害補償保険法の強制適用を受ける保険加入事業場であること、被控訴人はその主張日時同法の規定に基づき庭田に対し被控訴人主張の保険給付をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

右事実によれば、庭田は蟹沢の使用者である控訴人に対し民法七一五条に基づき損害賠償請求権を取得したものといわなければならないところ、労働者災害補償保険法二〇条により政府が被災労働者に対し保険給付をした場合、政府の取得する求償権は、同法による保険給付の受給権者が第三者に対して有する損害賠償請求権であるから、本件で被控訴人の取得すべき求償権は庭田が控訴人に対して取得した前示損害賠償請求権であるといわなければならない。

ところで、原審での証人佐々木由美、大津多喜男の各証言および控訴本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一号証(示談書)、右各証人の証言および本人尋問の結果ならびに原審証人蟹沢忠一、成田行市、庭田仁造(ただし、後記措信しない部分を除く)の各証言によれば、被控訴人が庭田に対し本件保険給付をする前の昭和三二年一〇月二一日、庭田から一切の委任を受けた佐々木由美と控訴人との間に、庭田は自動車損害賠償保障法に基く給付金(後一〇〇、〇〇〇円と決定)のほか慰藉料および治療費等として二〇、〇〇〇円の支払を受けることで満足し、その余の賠償請求権一切を放棄する旨の示談が成立し、佐々木からその旨の報告を受けた庭田自身もこれを了承したこと、当時八戸労働基準監督署に勤務し労働者災害補償関係の事務を担当していた成田行市は本件保険給付をする前佐々木から右乙第一号証の示談書を示されたが、かような示談が成立しても、政府としては所定の保険給付額から示談金を差し引いた残額を給付する義務があるとの見解に基づき、昭和三三年八月二九日庭田に対し一二〇、〇〇〇円を控除した三〇四、七四九円を給付したこと、以上の事実を認めるに十分であり、右証人庭田仁造の証言中、右示談に応じた事実がない旨の供述部分は前認定に供した各証拠に照らしにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠がない。

政府が被災労働者に対し保険給付をする前に、和解等により被災労働者が損害賠償を請求し得べき第三者に対し損害賠償額を免除しもしくは賠償請求権を放棄する旨の契約をすることは私法上の権利の処分として有効であり、そしてこの場合政府が取得すべき損害賠償請求権は消滅するから、その結果として当該第三者に対し求償権を取得しないものといわなければならない。(ちなみに、政府が保険給付をした後であれば、そのときに被災労働者の損害賠償請求権は政府に移転するから、被災労働者はその権利を処分するに由がなく、したがつて和解等によつて政府の第三者に対する求償権はなんら影響を受けるものでないことはもちろんである。)甲第一一号証(労働省労働基準局長から各都道府県労働基準局長あて「労災保険法第二〇条の規定の解釈について」と題する書面)の見解は右解釈と牴触するものではない。

してみれば、庭田は控訴人に対し前示示談により取得すべき金額を除くその余の損害賠償請求権一切を放棄したものである以上、その後に被控訴人が庭田に対し本件の保険給付をしたとしても、控訴人に対しこれが求償権を取得するに由がなく、したがつて、庭田に対し不当利得返還請求をすることのできることは格別、控訴人に対し右保険給付相当額の金員の支払を請求することはできないものといわなければならないから、本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものである。それゆえ、右と所見を異にし、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は不当であるから、これを取り消すべきであり、民訴三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。(昭和三七年三月一三日仙台高等裁判所第一民事部)

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